即日発表 - 2022年03月11日

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JANM

ギョウ・オバタ氏を悼む:彼の芸術的視点はJANMの設計に不可欠でした。


black and white photo of Gyo Obata working at a desk全米日系人博物館(JANM)は、JANMの84,000平方フィートのパビリオンを設計した著名建築家、ギョウ・オバタの逝去を深く悲しんでいます。オバタは2022年3月8日(火)にミズーリ州セントルイスで亡くなりました。享年99歳でした。

オバタは1923年、カリフォルニア州サンフランシスコに生まれました。父は一世の画家で、カリフォルニア大学バークレー校の美術教授であった小圃千浦、母は一世の花道の先生であった春子でした。1941年、日本軍が真珠湾を攻撃したとき、オバタはカリフォルニア大学バークレー校の建築学科の1年生でした。第二次世界大戦中、家族がタンフォラン一時収容所とトパーズ強制収容所に収容されている間、彼はワシントン大学セントルイス校に転校しました。タンフォランでは、千浦と日比松三郎がタンフォラン美術学校を設立し、ミネ・オオクボらが講師として活躍しました。収容者らがユタ州の強制収容所に送られた後、同校はトパーズ美術学校と改名しました。

オバタは1945年にワシントン大学を卒業した後、ミシガン州デトロイトのクランブルック芸術アカデミーで修士号を取得しました。その後、1955年、ジョージ・ヘルムス、ジョージ・カッサバウムとともにヘルムス・オバタ&カッサバウム(HOK)をセントルイスに創設しました。1992年にJANMがオープンすると、JANMのボード・オブ・トラスティーズはオバタに、博物館のコレクションや展示スペース、施設を拡張するため新しい建物の設計を依頼しました。オバタは木、石、ガラスなどの素材を選び、JANMのヒストリック・ビルディングの美学を反映させるとともに、日本とアメリカの影響を融合させました。

JANMは2021年10月、米国建築家協会ロサンゼルス支部(AIALA)から「25年賞」を受賞しました。25年賞は、25〜35年の間、時の試練に耐えてきた建築デザインに与えられる賞です。AIALAは、重要なプラザの要として、コミュニティーのためのコミュニティーを創造するとしてJANMのパビリオンを選出しました。

「JANMの中を歩くと、彼のビジョンが建物全体に響いているのを感じることができます。私たちは、彼の並外れた奉仕に永遠に感謝します。ご家族に深い感謝と哀悼の意を表します」とアン・バロウズJANM館長兼CEO。
 


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1985年の設立より、JANMは日系アメリカ人の経験を共有することによって、アメリカの民族的・文化的多様性への理解と認識を深めています。ロサンゼルスのダウンタウン、歴史あるリトルトーキョー地区に位置するJANMは、伝統的な博物館のカテゴリーを超えたハイブリッドな施設で、日系アメリカ人の声を伝えるとともに、あらゆる人が自分たちのヘリテージや文化を探求できる場を提供することを目指しています。1992年の一般公開以来、JANMは70展以上の展覧会を開催し、そのうち17展はアメリカのスミソニアン博物館やエリス島移民博物館をはじめ、日本や南米の主要な博物館など世界各地を巡回しました。当館についての詳細はjanm.orgをご覧いただくか、ソーシャルメディア@jamuseumでフォローしてください。